地震、津波、台風…心配事が重なりますが、千葉県九十九里浜ほぼ中央の片貝(かたかい)海水浴場へ。台風7号接近のため波が荒く、ライフセーバーの「膝までの深さで遊んでください!」との指示で、「泳ぐ」というより、間断なく打ち寄せる「波と戯れる」海水浴となりました。
看板には「ミヨ」の文字が。海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとする速い流れの「離岸流(りがんりゅう)」のことです。波が高い時は波のないほうに泳ごうとするけど、そこが離岸流で沖に流されるそうです。また、離岸流で沖に流されそうになったら、岸と平行に泳ぐといいそうです。最悪に備えて、マリンレジャーにライフジャケットは必須ですね。
風が強かったためか、砂紋(さもん)が見られました。風紋(ふうもん)ともいいます。
海水浴には全く問題なかったけれども、ギンカクラゲを発見。毒性は強くないそうですが、さわらない方がいいでしょう。
戦後1948年(昭和23年)から1957年(昭和32年)の約9年間、米軍により九十九里浜一帯が対空高射砲撃演習場基地「キャンプ・カタカイ」として接収された歴史があります。当時、農・漁民の生活破壊など諸々の基地問題があったそうです。「千葉県にもあった米軍基地問題」として、基地問題に目を向けるきっかけとなるでしょう。
参考
ウィキペディア「九十九里浜闘争」
房総の自治鉱脈 第9回 県内軍政と米軍基地と九十九里射撃場問題
昼食は「海の駅 九十九里」へ。2階のフードコートは、テラス席ならペット可でした。
国内唯一の「青い丸型ポスト」は、ちゃんと郵便局員の取り集め(回収)があります。海の駅のとなりにある津波避難タワーも圧巻。
1階のいわし資料館(撮影禁止)で、私の目に留まったのは、「オッペシ」と呼ばれる女性。遠浅の九十九里浜で、漁に出る船を沖合に出す重労働を担った女性たち。日本には、女性が重労働を担った歴史がほかにもあります。
鋸山(のこぎりやま)で切り出された石材を麓まで運搬した女性「車力(しゃりき)」。米の運搬では、大正7年に富山県で起こった米騒動に関わった浜の女たち。炭鉱では、天井の低いトンネルで採掘した石炭を腰をかがめて集めて運ぶ「アトヤマ」と呼ばれた女性たち。
生活のため必死だった様子に、わが身を振り返らずにはいられません。
参考 2021.01.11【登山ノススメ】鋸山 [ 長谷川 洋 ]
時間があったので、伊能忠敬出生地を訪ねました。今は公園になっています。香取市の伊能忠敬記念館に行く人は多いと思いますが、九十九里町の出生地まで足を延ばす人は、それほど多くないでしょう。
名主(なぬし)として、天明の大飢饉などの困難を乗り越え、50歳にして天文学者に弟子入りし、56歳から17年をかけて日本全国を測量した伊能忠敬の偉業に頭が下がります。
昨夏の吉田松陰出生地に続く、出生地訪問第2弾でした。ご参考まで昨年の動画もご覧ください。(13秒)
夜はバーベキューを楽しみました。地元のイワシ丸干しも堪能。塩分かなり強めでしたが。
旅にちょっとした学びを加えるのが私流です。夏休みも残りわずかとなりましたが、どうぞご安全にお楽しみください。