9月18日に、千葉県立中央博物館歴史学講座「縄文時代の考古学」に参加しました。内容は企画展「ちばの縄文ー貝塚からさぐる縄文人のくらしー」(昨年10月10日~12月13日開催)の解説でしたが、展示の裏話もあり興味深い内容でした。
「千葉に縄文?」と、感じる方も多いと思いますが、加曽利貝塚(千葉市)を始め、大規模な貝塚が多い点で、全国的に見ても「千葉の縄文はすごい!」のだそうです。(写真はその企画展の解説書表紙)
ただ、分かったようで分からないのが縄文。恥ずかしながら「弥生時代の前の時代」「縄文土器」「竪穴住居」「三内丸山遺跡」「加曽利貝塚」程度しか知りません。そこで、「縄文とは何か?」を知ろうと、翌日、国立歴史民俗博物館(佐倉市)を訪ねてみました。
「千葉に縄文?」以上に驚きなのが「千葉に歴博!(しかも国立)」です。上野の「科博(カハク)」「東博(トーハク)」、大阪の「民博(ミンパク)」に並ぶ博物館がなんと千葉県にあるのです。しかも高校生以下入館料無料!JAF会員証を提示すれば大人350円!(通常は600円)、さらに駐車場無料!
※常設展の入館料です。企画展がある場合は、その都度決まります。
※駐車場は、令和4年3月末まで工事のため第1駐車場閉鎖。混雑時は、駐車場待ちになる場合があります。
今回、じっくり見たのは2019年3月19日にリニューアルオープンした、第1展示室「先史・古代」のⅠ最終氷期に生きた人々」とⅡ「多様な縄文列島」のコーナーでした。
「博物館に行く!」というと、つい隅から隅まで見てみようとしてしまいますが、私は「見たいところだけじっくり見る」主義です。図書館と比べてみてください。図書館に行って、全部の本を読もうとしますか?博物館だって、全部見る必要はない・・・のです。ちなみに私が費やした時間は、Ⅰ「最終氷期ー」で1時間、Ⅱ「多様なー」は1時間半でした。
大人向けの展示にも関わらず、幼児や小学生連れの家族でにぎわっていました。我が子にかみくだいて説明する保護者の姿は、大変参考になりました。
今回、穴があくほど見つめたのは、ナウマンゾウ模型近くのこのパネルです。
縄文時代は寒かった「最終氷期」の終わりごろから始まり、温かくなった「後氷期」に栄えたことが分かります。
話がそれますが、「現代」も「後氷期」に含まれ、南極やグリーンランドに「氷床」が残る現代も「氷河時代」なのです。
縄文時代の始まりとは?
ズバリ!「土器」を使い始めた1万6千年前ごろでしょう。その後、1万5千年前から1万1千年前に急激に気温が上昇し、縄文人の新たなライフスタイルの模索が始まったそうです。
縄文時代の特徴とは?
ズバリ!「定住」でしょう。前田耕地遺跡(東京都)では、定住しサケをつかまえていた跡(焼けたサケの歯)が見つかったそうです。
縄文時代草創期の集落(宮崎県の王子山遺跡)の様子です。竪穴住居や燻製用の炉穴が見られます。定住生活にとって、食料の保存は重要な課題です。
また集落周辺には有用なクリやウルシなどが植えられ、管理されていたそうです。「里山」のルーツが縄文にあったのです。
クリは食用のほか、建築材としても活用されていました。三内丸山遺跡の、クリ材を用いた大型掘立柱(おおがたほったてばしら)が有名ですね。
九州南部では、早くから大規模な集落がつくられていたそうです。
しかし・・・約7300年前の「鬼海(きかい)カルデラの噴火」により被害をうけ、衰退してしまったそうです。この「鬼海カルデラの噴火」は、日本で起こった自然災害のなかで、もっとも甚大な被害を出したといわれます。
その火砕流は九州南部を焼き尽くし、有毒な火山ガスを含む火山灰が九州南部で30cm、九州北部で20センチも降り積もったそうです。壊滅した南九州は、その後、約1000年間にわたり、人の住めない不毛の荒地となってしまいました。そんな噴火が今あったらと思うと・・・。
(参考「日本列島を襲う!!異常気象と自然災害ーそのメカニズムと対策ー」(メディアパル))
三内丸山遺跡の復元家屋(縮尺1/25)です。三内丸山遺跡は、江戸幕府260年間の約6倍の約1500年間も続いた大型集落です。
気候の温暖化による海面上昇「縄文海進(じょうもんかいしん)」により、さまざまな海岸線がつくられると、海産資源の利用が進んだそうです。定住化が進んでいた集落では「貝塚」がつくられるようになりました。
では「貝塚」とは?
ズバリ!「ゴミ捨て場」でしょう。貝殻により酸性土壌が中和され、良好な遺物が発掘されるそうです。
しかし人骨も発掘されることから、単なる「ゴミ捨て場」ではなく「再生の場」「葬送の場」としての役割もあったようです。(写真は茨城県の中妻貝塚の復元模型)
定住生活による人間関係のトラブルを回避するための、モニュメントとしての意味があったのかもしれません。
このような「環状列石」も見られるようになったそうです。
千葉県民なら覚えておきたい「加曽利E式土器」。各地の土器形式を比較する際、よく登場します。
縄文人が食べていた食材の数々。冷蔵庫のない時代、どうやって保存したのでしょうか?
縄文時代後半には「製塩」も始まったそうです。塩は魚介類の保存にも使えますね。
トチの実は、VERITAS中高校への連絡橋を降りた中高側によく落ちています。別名「モチモチの実」?
縄文人はダイズも育てていたそうです。
これは「縄文犬(じょうもんけん)」の復元模型。縄文時代からイヌは飼われていました。
どうしても気になってしまうのが火山の噴火。
島根県板屋Ⅲ遺跡は、三瓶山(さんべさん)の噴火により3回も埋没したそうです。とくに2回目の噴火では火山灰が50cmも積もり、周囲の植生はほぼ壊滅したそうです。そんな噴火が今おこったら・・・。
以上、縄文時代の特徴をまとめると
1)本格的な定住生活の開始
2)縄文海進ピーク
3)大型集落の形成
4)環状列石などモニュメント出現
5)亀ヶ岡文化の発達・・・ん?今回の見学ではあまり触れられませんでした。
「亀ヶ岡文化」とは、縄文時代晩期(約3000年前〜2300年前)に北海道渡島(おしま)半島から東北一円にかけて盛行した文化のことで、青森県亀ヶ岡遺跡から出土した土器にちなんでこう呼ばれているそうです。(下の写真は、亀ヶ岡遺跡出土の遮光器土偶の復元模型。実物は「東博」にある)
話を最初に戻します。県立中央博物館での講演会で、講師の研究員の先生に「千葉県で見学できる貝塚ベスト3」をたずねてみました。
すると・・・
第一位「加曽利貝塚(千葉市)」(当然ですね)
第二位「堀之内貝塚(市川市)」(なんと!小学校のすぐ近く)
第三位「余山貝塚(よやまかいづか/銚子市)」(県外施設で多く所蔵されている出土遺物の代表格が、余山貝塚からの出土品だそうです)
・・・ということに落ち着きました。
貝塚ではありませんが、館山の鉈切洞穴(なたぎりどうけつ)もおススメだそうです。房総半島の隆起により現在は30m近い高さにあるそうです。
「歴史を知る」最も効果的な方法は、「専門家の熱い話を聴く」ことに限ると思います。みなさんも機会を見つけて、「熱い話」を聴いてみませんか?
※県立中央博物館のイベント情報はこちらへ
【おまけ】「れきはく」は、佐倉城址公園内にあり、天気のいい日は「れきはく」脇の芝生広場などで、ピクニック気分でお弁当を広げることもできます。(写真は「馬出し空壕」の復元)
※レストランの食事はおいしいのですが、コロナ対策で座席数が限られるため、混雑時は待つことがあります。この日、私はあきらめました。